和ろうそく・和紙

これは日本伝統の和ろうそくです。

和ろうそくは普段使われている洋ろうそくとは、どう違うかご存知でしょうか?

洋ろうそくの原料は主にパラフィンという石油系油脂を使用するのに対し、和ろうそくは櫨や漆などの植物性油脂を使用しています。

また、和ろうそくの芯は系芯ではなく、灯芯という和紙にイグサを巻いたものを使用しています。

和ろうそくを一本一本手掛けで作り上げたおかげで、和ろうそくの燃え方は美しいです。

煙が極力少ない。蝋が垂れない。炎が柔らかい。

自然の燃料と芯、それからろうそくにこもった思い。

これが日本の古き良き伝統を象徴していると思う。

蝋が溶けると同時に芯がそれを吸っていく。この助け合いというか、ちょうどいい具合というか、この絶妙なバランス。余計に煙が出たり、蝋が垂れたりしない。

「もったいない」ものなんてない。

まさに日本的な考え方なのではないでしょうか?

二日前、滋賀県の近江今津市にある、和ろうそくの職人さんのところを訪問させていただいて、色々な貴重なことを学ばせていただきました。

その夜、黒谷和紙の畑野さんも合流して、日本の伝統産業について熱く語りました。その夜、京都の綾部市にある畑野さんの家に泊まらせていただきました。

夜はめちゃくちゃ寒くてずっと震えていましたが、見上げると、とっても綺麗な星空が目の前で広がりました。畑野さんの家では、ほとんど自然なものを使っているし、なにより感動したのは、翌日の朝ごはんに出てきた野菜とごはんは自分で栽培したものだし、子供を含めて家族全員が一緒に朝ごはんを作ったことだった。都会を離れて田舎に住むと、自然のありがたみ、当たり前だと思ってきたことの大切さを初めて分かるかもしれない。

留学生だと、日本人に教えたとき、「どのアニメ・漫画が好きですか?」と必ず聞かれる。しかし、私はそもそもそういう理由で日本が好きになったのではありません。

よくわからない日本のある魅力に惹かれたのだが、それがうまく説明できなかった。

今回の旅でようやくわかった。

日本文化というのは、こういうものだ。

これも、私が日本が好きな理由だ。私みたいな外国人もきっとたくさんいると信じている。

それを日本に留まらず、海外にも伝えていくのは私の義務だと感じずにはいられなかった。

リトルワールド

ある日、ツイッターで友達がリトルワールドに行きたいというやりとりを見かけ、思わず「リトルワールド??」と勝手に名前でテンションが上がっちゃって、ネットで調べてみた。リトルワールドとは、愛知県犬山市にある地球の縮小模型をイメージにしたテーマパークです。旅行+国際交流+外国語が大好きな私にはたまらなかった!

友達のツイッター会話のやりとりに割り込んで、行きたい!!と必死に要望を送った。唯一な男性メンバーにも関わらず、ありがたく参加させていただくことができた!ということで、3日の夜にサークル仲間5人と夜行バスで名古屋へ出発!肝心な宿泊なのですが、友達の一人の実家が名古屋なので夜に泊めてもらうことになった!

朝の7時に名古屋駅に到着し、ほとんどの店が空いていなかったので、地下街でぶらぶらしていた。8時になって何軒かが営業を始めたので、喫茶店リッキに入った。名古屋のカフェといえば、モーニングがついてくる!モーニングってなんだろう?と名古屋県外の人に行ってみても通じないでしょう。

実は、名古屋のカフェでは飲み物を注文するだけで、トースト・ヨーグルトとたまごがサービスでつくモーニングサービスがあるのです。コーヒーの値段でお腹いっぱいになる!そのあと、時間を潰しに、名古屋の街中を散歩していた。大須観音周辺の鳩と烏の数に呆気にとられては、午前中と午後の商店街の風景の変化にも驚いた。午前中は店どこひとつ空いていなかったのに対して、12時を過ぎると、お祭りでもやらんばかりに、商店街が活気で溢れてくる。

名古屋の繁華街である栄にある革新的な建物。上のほうは普通に歩くことができて、時にはイベントをやるとか!

味噌煮込みうどん

お昼は名古屋名物の味噌煮込みうどんを食べてから、名古屋の観光名物ー名古屋城へと向かった。名古屋城は思ったよりずっと広くてびっくりした。名古屋城の中にも色々な展示が楽しめて面白かった。前日の夜行バスの旅で全然眠れなかったのと、名古屋の市内観光でぐたぐたになってきた私達は、元気を取り戻そうと、ボーリングとビリヤードをやることにした(笑)謎の元気の源。夜は友達の実家で一晩お邪魔しました。

翌日はこの度のメインイベント:リトルワールド!

リトルワールドは意外と遠くて、名古屋から車で一時間ぐらいかかった。リトルワールドのホームページで見た限りではとってもおもしろそうだったのに、人がびっくりするぐらい少なかった。もっと宣伝すれば、人気が出るものの・・

ちなみに、入場料は大学生が1000円で、留学生は800円になっている!!留学生が優遇されるのが初めてなのではないか?(笑)

それでは、リトルワールドへようこそ!

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Miyazaki

To most foreigners, the word “Miyazaki” represents a famous animation movie director, Hayao Miyazaki, but unfortunately, this entry is not about anime, but about a prefecture in Kyushu which most foreigners have almost never heard of. However, many unexpected surprises awaited me when I went to Miyazaki in 2009 as part of a trip round Kyushu.

JR Hisatsu Line is one of the most beautiful lines I have ever taken, both in terms of the scenery that it passes by, as well as the interior of the train itself. Instead of rows of seats that we are normally used to, this train has an interesting layout inside. Round tables, round counters, and exquisitely designed walls and ceilings are not what we associate with trains, but this train gave me a pleasant surprise when I stepped into it. Not only that, as we passed by the beautiful greenery and scenery of mountain and rivers, an announcement is played continuously, describing and explaining to us the landscape flowing past the window panes.

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Sadogashima

So where the hell is Sadogashima? You might ask… but if you were to look carefully at the map of Japan, Sadogashima is one of the most prominent places you might find. That’s right, Sadogashima is actually the fourth or fifth biggest island of Japan (differs according to surveys). It is the small island that stands out on the top left of the archipelago of Japan.

So one fine day, I decided to pay a visit to Sadogashima, a popular destination for Niigata school trips, but not very popular among tourists, but Sadogashima eventually gave me a few surprises and some lessons to learn.

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Yokohama, Kamakura (横浜、鎌倉)

神奈川県といえば、自然に横浜を思い浮かぶ人が多い。むしろ、あまり日本を知らない外国人には、神奈川より、横浜のほうが通じることが多い。もちろん、神奈川県には色々魅力がある。日本一のデートスポット:みなとみらい、はそのひとつです。

これは僕自身のお気に入りの場所:大桟橋。夜になると、めっちゃ奇麗になる。

兄弟とみなとみらいにて

それから、鎌倉もとっても面白いものがある。鎌倉には歴史の長いお寺もあれば、夏にはサーファーでいっぱいになる湘南の海もある。それから、リラックスできるお洒落な空間も揃っている。

秋の八幡宮

江の島から眺める湘南

世界一のブレークファースト(朝食)と言われるbills

パンケーキが名物!

Dreams of Iwate (夢の岩手県)

2回目の岩手県は夢のプロジェクトで集まった絵を被災地に持って行く時だった。冷麺やわんこそばで有名な岩手県はいつの間にか「被災地」という名がつけられて、冷麺なんかより「被災地」として知られるようになったと言っても過言ではなかろう。かつて奇麗な砂浜や海沿いの町は一瞬にして津波に呑みこまれ、今や何もない平地になってしまったのだ。家族と家を失っただけでなく、将来の夢と希望を失った子供達のために、私とシンガポールの慈善画家ピーターが「夢のプロジェクト」を始めた。

「夢のプロジェクト」というのは、東京都内の小学校と避難所を回り、日本の子供たちに応援メッセージを描いてもらい、集まった絵とメッセージを被災地に持って行き、被災した子供たちに勇気づけて、それから自分の夢を描いてもらうという企画である。こうやって、ピーターと二人で、それから色々な先生方と友達のおかげで、500枚近くの子供による応援メッセージと絵が集まった。

馬場喜久雄先生という文部科学省の初等教育研究所の室長のおかげで、岩手県宮古市の田老第三小学校に集まった絵を届けに行くことになった。夢のプロジェクトで初めて被災地に入るし、今まで集めてきた絵をやっと子供達に届けるので、とても楽しみにしていた。夜に品川駅から夜行バスに乗って宮古市へと向かった。

夜行バスで9時間半かけて宮古市に到着した。上等席だったので意外に座り心地がよくてぐっすりと眠れた。バスを降りて、荷物を取って近くの立ち食いそば屋へ向かった。そこで、パンを千切って鳩に餌を与えている現地のおじさんがいた。かなり多くの鳩が集まってきたのにびっくりしてぐちぐち話している私達に、おじさんがパンを千切りながら振り向いた。

「市場が閉まっちゃって、鳩もスズメもカラスも餌がないんだよ。可哀そうだから餌を与えるんだ」とそのおじさんが説明した。おじさんのなまりあまりにも強くて、だいたいの意味がわかったが、聞きとりづらかった。それにしても、おじさんは優しいなと私が心底から感心していた。津波などの影響で閉まった市場は人間だけでなく、動物にも不便を与えている。助け合いの精神は人間の間に留まらず、人間と動物の間にも現れるものだ。

この微笑ましい風景に心が温められて、立ち食いそば屋で朝食を取った。そのあと歯磨きなり洗顔なりしてから、4人でタクシーに乗って田老第三小学校へと向かった。沿岸のほうに近づけば近づくほど、窓の外の風景がだんだん変わってきた。ビルが至る所で建てられている街が、広い平地に、解体される日付がペンキで壁に塗ってある津波に襲われたビルが何軒か建っている風景に変わり、タクシーから眺める私達も気が重くなった。そういう「がれき」の風景を通り過ぎて間もなく、緑一色の田んぼの風景が目に入ってきた。少し遠くには、木製のとても素敵なビルが佇んでいた。「それがおそらく太郎第三小学校だ」と運転士が言いながら、私たちは外の綺麗な風景に目が奪われてただ黙っていた。

タクシーが学校の正門の前で止まると、足早で迎えに来てくれたのが学校の校長先生だった。荒谷校長先生は満面笑顔で、私たちがタクシーから降りて荷物をトランクから降ろすのを見ていた。

簡単に自己紹介をしたら、荒谷校長先生は私たちを校内の校長室に案内してくださった。席に着くと、お茶が出されて、荒谷校長先生は一分たりとも無駄にしたくないかのように、新聞記事や雑誌をどんどん出して、話をし始めた。どこかから支援を受けているとか、校長先生自身のお母さんが新聞に載ったとか、とにかく話したいことがいっぱいあったイメージが強かった。それでふと思ったのは、こうやって大震災を乗り越えて生き残った人間たちは、強くなったのはもちろん、それなりに教訓を受けて次世代、または災害を直接受けなかった人たちにきっと伝えたいメッセージがたくさんあるだろう。

予定より早く着いたので、活動が始まるまでの間、新谷校長先生が私たちを田老町の近くにある「熊の鼻」という観光スポットに連れて行ってくださった。熊の鼻は岩泉町の海岸なのだが、突き出た部分が熊の頭と鼻と似ているので、「熊の鼻」と名付けられたという。海風に吹かれながら、私たちは幸い津波の被害を避けて生き残った海岸を眺めていた。

「私たちがここの子供たちに伝えたいのは」と荒谷先生が言い出して少しの間をあけてから続けた。「津波は怖いかもしれないけど、海のことを決して恨んだりしないでほしい」

それを聞いた私はすぐ鳥肌が立ったほど感動した。確かに自然災害は人の命を奪ったり家を壊したりするけど、ここに住んでいる人はそういう災害の元となる海とずっと仲良く生きてきた。何世代も渡って海とは愛と恨みという複雑な関係で人生を送ってきた。というのは、一回津波に襲われただけで、絶対恨んではいけない。今までお世話になって人々に愛された海であって、今もこれからもお世話になるだろうし、人々に愛され続けるだろうからだ。自分の地元が散々やられた荒谷先生からこんな寛大な言葉が出るとは、少しは驚いたが、それよりここの人々の広い心と自然への愛情を感じずにはいられなかった。

学校に戻って各クラスで活動を行った。まず馬場先生に笛のパフォーマンスを披露していただいて、私がプロジェクトの内容を少し説明してピーターさんのお話をしてから、早速子供たちに自分の夢を描いてもらった。津波で家を失ったり色々苦労したりしたが、自分の夢を描くことによって、将来への希望を忘れずに目標を常に持ってそれに向けて頑張れるようになるだろう。私がみんなに伝えたいのは、自然災害なんて避けられるものではないので、それを嘆きながら生きていくより、いざそういうときになったら、大切な家族や友達、それから周りの見知らぬ人でも、助け合うことが大事だということ。自分の夢をしっかり持っていることによって、目の前に起きる悲劇を長い目で見れば、それは人生のほんの小さな一部に過ぎなくて、それを乗り越えれば、自分の夢に向けて走り続ければ、もっと素晴らしいものが待っているのだ。

田老第三小学校は全校生徒16人しかいなくて、家族を亡くした生徒はいなかったみたいだけど、家が流された人は一人いた。校長先生の母親は11歳のときに大津波に遭って、家族7人全員が亡くなって、一人だけ生き残ったという。そのあと北海道でおじさんの家でお世話になりながら生きてきた。今回もまた大津波に遭って、そしてまた生き残った。そんな校長先生の母親は子供が6人いるのだが、彼女の夢は6人の子供をみんなちゃんと勉強をさせることだったみたいだ。金銭的な問題などを乗り越えてその夢をかなえるのだろうかという疑問はあったが、今現在、その6人の子供のうち、4人が学校の先生になっている。なんという感動的な話だ。

学校が終わったあと、荒谷先生の家に案内していただいた。家は津波に遭ってビルは残っていたが、中身はごちゃごちゃになっていた。そんな家にはもう住めないということで、お姉さんの家に泊まらせていただいているようだ。お姉さんの家にも案内していただいて、母親にもお会いすることとお話を伺うことができた。

貴重な経験をさせていただいて、本当に荒谷先生、そして荒谷先生と連絡を取っていただいた馬場先生に感謝している。悲しみ、感動と達成感の混じった気持ちで、私はその翌日岩手を離れて福島へと向かった。

Tokyo (東京)

東京都は47都道府県の中で香川県に続いて面積が2番目小さいが、皮肉なことに、一番人口の多い都道府県でもある。2番目に小さいとはいえども、本の最初にも書いてあるように、シンガポールの3倍の面積も占めている。しかし、懐かしい昭和時代を蘇らせる下町、眩暈を起こすぐらいの人混みの多い都会、先端な科学技術を誇る機械、世界屈指の建築家によるオシャレな建物など、本当にピンからキリまで、何を求めようが東京には見つかるのだ。

東京は魅力満載の街で、観光客に人気なスポットがいっぱいある。しかし、実際に住んでみると、外国人に知られない下町などのほうが魅力に感じ、引かれていくのだ。それでは、東京を代表するスポット、それから私の中で好きな東京スポットをご紹介したいと思います。

原宿

六本木(東京タワー)

お台場

表参道にある面白いカフェ(A to Z Cafe)

おいしかった!

東京デザインフェスター

汐留のクリスマスイルミネーション

下北沢

代官山

代官山のチョコレートカフェ

自由が丘

世界の国々に経済的に追い越されては追い越すような競争率が日々高まっている社会では、東京も日本の背負ってこのレースに負けないため走っている。その結果、人間関係が薄れていって、挙句の果てに無人情な社会になりつつあるのではないかと言われている。確かに、朝のラッシュアワーに西武新宿線や銀座線の電車に乗れば、人混みに呑み込まれて電車の中で身動ぎもできず、まるで呪いにでもかけられたみたいにみんなが無口でただただぼうっとしている。デパートやコンビニに入れば、誰にともなく空気に対してしゃべる店員さんに出会う。こんな町にはどんな魅力があるのか?

私にとって、東京は非常に皮肉な所である。正反対の物事が同時に存在できるところで、日本の首都ではあり、一番多くの日本人が住んでいる都道府県でありつつ日本っぽくないところだらけで、一見冷たそうな社会ではあるが些細な暖かさを感じられるところがどこかに潜んでいる。そういう皮肉なところが東京の特徴である。そして東京を楽しむポイントでもある。

昔と現在、老若男女、冷たさと温かさ、都会と田舎、時代遅れと現代、正反対ながらも共存できる場所はこの世にほかに存在しているのだろうか。私は世界の各国に行ったわけではないので、断言はできないが、東京みたいな町は恐らく唯一無二だと思う。

時間と時代の流れを感じさせない、昔と現在と未来の三つの空間が一体化している。昔の日本が、着物や神社などをはじめとする日本の伝統文化に通じて蘇ってきて、日常的にも身近に感じることができる。それと同時に、週末に原宿の竹下通りや秋葉原に行ってみたら、現代文化のアニメ、漫画、それからコスプレーに夢中になっている若者たちが大勢いる。また、秋葉原の電気街や新宿の電器屋を通ってみると、毎日勤勉に研究したり働いたりする日本の科学者たちが作り出した最新技術や機能を持つ電気製品に、未来の日本が目の前に浮かんでいるように見える。過去、現在、未来、全部が一つの現実に存在しているのが日本である。想像力、それと創造力がこの都市に溢れている。街を歩いてみると、それがしみじみ伝わってくる。

Yamaguchi (山口)

 

山口県には九州に行った時帰りで1泊だけ泊まった。関門橋や角島大橋などといった観光地には行きたかったけど、時間とお金の問題で行けなかった。

Kobe (神戸)

兵庫県には一回しか行ったことなくて、元町や三宮での買い物のほか、やっぱり神戸の港が奇麗で印象的だった。またいつか行ってみたいな!

神戸ポート!

The Kanto Festival (竿燈祭り)

秋田県といえば、秋田美人を思い浮かべる人もいるだろうが、私には、竿灯祭り、きりたんぽなどが印象が強いです。

2009年の夏休みに友達と東北三大祭りを回ってきたときの写真です。

18時になると、竿灯入場が始まり、笛の音と同時に、老若男女が竿に結ばれた提灯を運んで路上に出てきた。大若、中若、小若と幼若と4つの種類に分かれる。大人用の大若は46個の提灯もついていて重さは50キロをも及ぶという。年齢層によって、提灯の数、重さと長さが異なり、小学生用の幼若は5キロぐらいらしい。

笛が鳴ると、横になっていた若を思いっきり立て起こし、最初は片手に載せてバランスを取りながら、竿が揺れ始めると思いきや、ぱっと額、肩、腰に載せたりして、観客を魅惑した。疲れてきたら、他の人に代わってもらって、掛声をかけながら、パフォーマンスをしていた。

時には、風に吹かれたり、バランスが崩れたりして、竿が観客のほうへ倒れそうになる。50キロもの提灯を観客にぶつけたら、さすがに事故になるのだから、そんな大惨事を防ぐため、観客席の上には倒れる竿を支える縄がついていた。竿のバランスが崩れ、倒れそうになると、観客からも絶叫交じりの歓声を上げる。観客に当たりそうになっては、縄にかかって、観客からまた安堵めいた歓声を上げる。

日が暮れて、周りが暗くなっている中、微かに光っている提灯は町を点灯している。風に吹かれてちらちら明滅しそうでしない提灯の明かりは幻想的な雰囲気を作り上げている。そして、その下で汗を流しながら手を震えながらも全力を尽くして支える人々は、まるでこの町に明かりを与えることが身の役割みたいで、竿が倒れて明かりが消えないように必死にバランスを取ろうとしている。ただでさえ持ちあげるのが苦労なのに、笑顔で色々な技を見せて観客を喜ばせるのがとても微笑ましい。

秋田竿灯祭り情報:http://www.kantou.gr.jp/index.htm